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 声優、歌手として活躍する水樹奈々(30)の音楽の基礎を作ったのは両親だった。平成20年に水樹は父親を病気で失っているが、今年2月には地元、愛媛県新居浜市での公演を初めて実現させた。水樹は「特別な思いで挑むツアーになりました」と語る。(竹中文)

  [フォト] 変身!水樹奈々とキュアブロッサム

 昼は歯科技工士として自営業を営み、夜は歌謡教室を開く両親に水樹は育てられた。5歳のころから自然と、歌謡教室に習いにきていた大人たちに交ざって発声や歌の練習に参加するようになった。

 「友達とはあまり遊ばずレッスン漬けの毎日を送っていました。誘いを断ると、友達から声がかからなくなるので、学校では浮いている存在なのかもしれないと思って、へこむこともありました。けれど、それでもやっぱり夢をかなえたいという思いが強かった」と振り返る。

 幼稚園や小中学校から帰宅すると、昼は父親のそばで歌った。「父は入れ歯や差し歯などを作っていて、ものすごい音をたてて削っていた。『その音に負けないように歌え』というスパルタ教育でしたね(笑)。物心がついたときから、周りには演歌が流れていて、幼稚園や小中学校時代は、両親が大好きな演歌一筋で歌っていました」

 週末は発表会や大会に出場。中学3年生のときに満を持して挑んだのど自慢大会でグランドチャンピオンになり、これを機に歌手を
目指して上京することになった。

 「両親はまったく反対しませんでした。両親とも、小さいころから歌手になりたいという夢を持っていたのですが、家族の反対で上京することができなかった。ひとりで東京に行かせることに不安もあったと思うけれど、親子2代にわたっての夢なので、背中を押してくれました」

 父親は平成20年に病気で帰らぬ人となった。それでも娘のなかに父親から受け継いだ「演歌は無条件に好き」という思いは今も残っている。J?POPを歌う水樹だが、昨年末にNHK紅白歌合戦に出場したときは、坂本冬美の応援アーティストとして登場した。

 今年2月には地元、新居浜市市民文化センターで公演を開いたが、5歳のときにも同センターの舞台を経験している。

 「小さいころから立っていたステージだったので、楽屋、ロビー、外観、すべてが懐かしく感じました。そこに水樹奈々として立てるというのは感慨深いものがありました。10年後も同じようにライブでミニスカートをはいて、へそを出して歌って踊って走り回れるような、そういう人でありたい。30歳になって今まで以上に自己管理を大事にしようと思いました」

 地元公演を終えて一皮むけた水樹は3月27日、名古屋の日本ガイシホールでツアーの最終公演に臨む。

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引用元:精霊物語グランドファンタジア(Grand Fantasia) 専門サイト
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